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アントナン・アルトーが唯一残した幻の戯曲

「チェンチ一族」をもとに繰り広げられる万有引力の残酷演劇!

1982年 演劇実験室◉天井棧敷が男優陣だけで上演した

J・A・シーザー演出デビュー作品を新演出で挑む!

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アントナン・アルトー

寺山修司の演劇関係の著作を手に取った事があるなら、“アルトー”の文字に憶えのある人もいるだろう。アルトーとは、20世紀前期を生きた劇詩人アントナン・アルトーの事であり、その独自の「残酷演劇」論は、特に1960年代以降、世界中の演劇人に多大な影響を及ぼしている。当時の日本のアンダーグラウンド演劇も同様で、とりわけ早くからアルトーの思想に共鳴していたのが寺山修司である。天井棧敷について、特に目の肥えた西欧の劇評ではアルトーを引き合いに出される事も多く、その集大成とも言える『奴婢訓』では以下の様に評価されている。

 

「かつてアルトーが果たせなかった『残酷演劇』の夢を、天井棧敷が実現させた」(フランス ル・モンド紙)

「アルトーと歌舞伎の結合、最も先鋭的な前衛劇団の、ほとんど天才的なイメージの衝撃力」(イタリア イル・テンポ紙)

 

つまり、天井棧敷の作劇とは、寺山修司がアルトーの演劇論を咀嚼の上独自に発展させたもの、と言っても過言ではない。
この『チェンチ一族』は、アルトーが「残酷演劇」宣言後に、その「残酷演劇」を実現すべく1935年に書き上げた戯曲で、16世紀イタリアの貴族チェンチ家にまつわる悲劇的な実話に基いて書かれたスタンダールやシェリー(パーシー・ビッシュ・シェリー、『フランケンシュタイン』のメアリー・シェリーの夫君)の著作を下敷きにしたもので、自ら演出、出演もしている。しかし、予算の問題や周囲の理解を思ったように得られなかった事もあり、公演は失敗、失望したアルトーは以後演劇の世界から遠ざかってしまうのである。
そして1982年、天井棧敷は満を持してアルトーの『チェンチ一族』を取り上げる。当時、本邦初演であった『チェンチ一族』は、文芸坐ル・ピリエにて”男優陣だけによる”アトリエ公演として上演された。


――アルトーの幻の戯曲『チェンチ一族』をもとに繰り広げる天井棧敷の”残酷演劇宣言”!!
  肉体による”暴力とエロス”の饗宴!


これが、それ迄は音楽の傍ら寺山修司の共同演出を務めていたJ・A・シーザーの、初の単独演出作品となった。大絶賛に浴したその野心的な演出は、翌1983年、同じル・ピリエでの『シナの皇帝』をもって旗揚げする万有引力の礎となる。


2019年は、1969年に天井棧敷に入団以降、音楽担当、共同演出、万有引力旗揚げ、主宰、演出と、休む事無く活動してきたJ・A・シーザーが、演劇人生50周年を迎える。折しも、日本では平成の時代が終わり新たな時代を迎えようとしている。この節目に、万有引力が『チェンチ一族』の初上演に挑む!今回の上演に際しては、アルトーの戯曲をベースに主にシェリー版のテキスト(藤田幸広訳、音羽書房鶴見書店から発売中)を引用し、戯曲の裏側に潜む”単なる過去の叙事ではない”今日に至るまで連綿と繋がり続ける人間の闇を暴き出す事に主眼を置く。そして、奇しくもメアリー・シェリーを縦軸にした前作『リヴォルビング・ランターン』で劇団の作劇の再検証を行った万有引力は、既に決定した次回作『奴婢訓』にて寺山演劇の極北に再登頂する前に、ザ・スズナリという格好の劇場を得て今一度アルトーの目指した”全体性”の再考察を試みる!乞うご期待!!

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演出・音楽◉J・A・シーザー

構成・共同演出◉髙田恵篤

アントナン・アルトー台本より

(原作:パーシー・ビッシュ・シェリー)

台詞はシェリー版(藤田幸広訳)を使用

CAST
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TIME TABLE
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開演時間

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※開場は各回開演20分前、開演45分前に受付開始

=アフタートーク

PLACE

12日(金)アフタートーク ゲスト:根本豊

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東京都世田谷区北沢1-45-1

TEL 03-3469-0511

小田急線・京王井の頭線

「下北沢駅」東口改札より徒歩4~5分

※下北沢駅仮北口は廃止の為、

  東口が最寄りの改札です

TICKET
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全席指定 / 税込

前売一般 4,000円

当日 4,400円

高校生以下 2,800円

2019年2月12日(火)10:00前売開始

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◉公演詳細・問合せ◉

リアルヘヴン(佐藤)

ticket@realheaven.jp 03-5809-4023(12:00~21:00)

STAFF
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音響 ◉ 尾崎弘征

照明 ◉ 正村さなみ 山﨑佳代

技術監督 ◉ 小笠原幹夫

舞台監督 ◉ 小林桂太

音楽製作 ◉ 飛永聖

舞台美術 ◉ ツール・ヴァーグ

美術製作 ◉ 美術オルガンCOG

服部愛弓 小林創新 伊藤彩香 波田野宇乃 若松真夢 海藤薫乃

衣装デザイン ◉ 上海綾子

衣裳製作 ◉ ゥラップ衣裳館 黒田愛子

スチール撮影 ◉ ニヤ 伊藤青蛙

制作 ◉ Real Heaven 演劇実験室◉万有引力

制作協力 ◉ 大上貴摩瑳  松尾加奈

広報 ◉ 山本美里

協力 ◉ 村田弘美 杉村誠子 唐沢宏史 (有)ライズ

(株)劇工房 双真 玉木康晃 長野由利子

小澤菜摘 寺下恵一 正野恵理子

間宮春華 岡部材木店 DOLCE

主催・企画・製作 ◉

特定非営利活動法人 演劇実験室◉万有引力

ANTONIN

アントナン・アルトー

(1896-1948)

演出家・詩人・思想家・俳優・小説家。幼少期より詩作を初め、論文・小説へと文筆の幅を拡げていく。傍ら、17歳の頃に俳優として初舞台を踏む。1924年、シュルレアリズム運動が巻き起こり、アルトーも参加するがその2年後には訣別。この頃より映画俳優としても活躍。評価は高く、アベル・ガンスの『ナポレオン』、カール・ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』等の名作にも出演。シュルレアリズム映画『貝殻と僧侶』の脚本も手掛ける。同時に自ら「アルフレッド・ジャリ劇場」を設立し作品を発表し続ける。1931年、植民地博覧会にて東洋の演劇―バリ島のケチャックを目にし、強い衝撃を受ける。これが引金となり、翌年以降『演劇とその形而上学』更には『残酷演劇宣言』『演劇とペスト』『ヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト』を発表。今日に至る迄影響を及ぼすアルトーの演劇論が急速に醸熟する。1935年、『チェンチ一族』発表。評価は賛否が分かれ絶賛もあったが、アルトー自身の失望が大きく、次第に演劇から遠ざかってしまう。また映画とも絶縁、以降メキシコ等諸国を訪れながら論文を発表。次第に奇行が目立つようになり、精神病院に収容される。1948年、癌により死去。

 

生前からアルトーを信奉する芸術家も多く、ジャン・コクトー、アンドレ・ブルトン、レーモン・クノー、ポール・エリュアール等と親交があり、ジャン・ジュネやベケットらに影響を与える。没後、哲学者のジャック・デリダやドゥルーズ=ガタリによるアルトー再評価の機運が高まるに連れ、ピーター・ブルック、モーリス・ベジャール、グロトフスキー、ニューヨークのジュリアン・ベックらがその演劇論を実践し、また作家のアレン・ギンズバーグやミュージシャンのジョン・ゾーン、バウハウスらがその思想に共鳴する等、今なお光芒を放ち続けている。

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1926年

マン・レイ撮影のポートレイト

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1927年

『裁かるゝジャンヌ』より

ZANKOKU

「残酷演劇」とは

アルトーによると、それは必ずしも舞台上の表現の”残酷さ”を示すものではなく、様々な手法によって人生の根底にある”残酷さ”を暴き出す、つまり、誤った現実を粉々にするという暴力的で肉体的な決心を意味する。

 

舞台言語を読み直し、知性に訴える台詞言語ではなく心身に直接訴える肉体言語を用いて観客を動揺させ日常性から脱却させる、肉体を供儀とした全的身体表現による呪術的・祭儀的演劇。それは、演劇を舞台から観客席へと拡大して観客に本能的なレベルでの参加を促し、光と暗闇に言葉に匹敵する意味を持たせつつ、大きな音や叫び声、不快な騒音等の生音で観客席を取り巻くといった、演技以外にもあらゆる手段を組み合わせて新しい演劇独自の言語を創造することによって観客の神経に直接働きかけて思考や論理を覆し、自分の深淵を覗き見る衝撃を与えるという全体演劇の提示である。

 

それは、アルトー自身には果たせなかったが、その一つ一つの要素は後の天井棧敷~万有引力では完全に自家薬籠中のものとなっている。

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1935年 アルトー演出『チェンチ一族』より

ABOUT

主宰 • 演出

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1983年7月31日、故・寺山修司主宰の演劇実験室◉天井棧敷が解散。

1983年8月1日、天井棧敷時代そのほとんどの作品の音楽及び共同演出を担当したJ・A・シーザーと天井棧敷の劇団員31名とで結成。 「万有引力とは人間同士が互いに引き合う孤独の力のことである」という寺山修司の言葉(もとは谷川俊太郎『20億光年の孤独』からの引用である)に因み、 「演劇実験室◉万有引力」と命名。

旗揚げ当初万有引力の活動は天井棧敷と一線を画し、新作のみを上演する事により様式は継承しつつ独自の方法論を模索。しかし次第に多くの他劇団・団体が寺山の戯曲を上演する様になった為、「寺山演劇」=「トータルシアターと評された天井棧敷の演劇」に誤解が生じることを懸念。また天井棧敷の演劇をオリジナルに近い形で観たい、との観客の声にも応じ、「寺山演劇」の真髄を後世に伝えるべく寺山作品の上演を開始する。同時にオリジナル作品も積極的に上演し、様々なアプローチで「演劇」という表現方法へ挑戦し続けている。

 

演劇実験室◉万有引力 公式WEBサイト

演劇実験室◉万有引力

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1948年 宮崎県出身。

1969年 演劇実験室◉天井棧敷公演『時代はサーカスの象にのって』に客員として参加、打楽器を演奏する。天井棧敷入団後、寺山修司の勧めで音楽を始める。1971年『邪宗門』では全ての音楽を担当、以降、座付音楽家として演劇実験室◉天井棧敷の全作品の音楽を手がける。また、寺山修司監督の長編映画(『田園に死す』『ボクサー』『さらば箱舟』など) 及びいくつかの短編・実験映画の音楽も担当する。

1983年 寺山修司の死後、解散した演劇実験室◉天井棧敷の衣鉢を継ぎ演劇実験室◉万有引力を結成。主宰者として演出、音楽、美術を担当。

J • A • シーザー

撮影◉伊藤青蛙

主宰・演出

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